昭和53年07月10日 朝の御理解
御神訓、一「真の道をゆく人は肉眼をおいて心眼を開けよ。」
「真の道と言われますが真の道は、肉眼をおいて心眼を開かなければ、真の道は分りません。」求道するというてもただ手探り的な求道では本当の道、いわゆる道を求めても道は分かりません。求道する為には、先ず私が心に信心の光を頂かなければ、光を灯さなければ、求道はなし得ない。分からない。手探り的なもの、道を求めると言う事はもう限りがない事です。光を持っているから真の道に出られると言う事じゃない。
その真の道を限りなく又歩かせて頂くと言う事なんですから、その真の道だから、明か明かとした立派な道という事ではない。お互い信心が分かりませんから、ここではいうなら神様まかせ、親先生まかせと言う様な行き方で参ります。まあ私がかすかに真の道がこれだと、言う事を神様に頂いたり、分からせて頂いている事を、皆さんに伝えさせてもろうて、皆さんもその道を辿らせて頂くわけであります。 私は日々皆さんが、この祈願詞を奉上される時に祈願詞をそのままに頂き、そのままに現し体験しておるのが合楽教会だと思いますね。もうその通りに合楽は、おかげ頂いとるです。だから一般はですね、ただこれを読み上げよるだけです。そして自分の上にも、教会の上にも現しきっていない。例えば「教祖金光大神は、実意丁寧、神信心の生活を進め給ひて、世にためしなきおかげを受け給ひ。
神と人との新しき、あいよかけよの道を立てて神の頼みをそのままに、神も助かり人も立ち行く、生き神金光大神取り次ぎの働きを、永遠に現し給う事こそ、畏しこけれ」と。果して今の金光教が、こういう現し方をしておるだろうか。これをその通りに現しておるのはまあ、合楽位のものじゃないだろうかと思います。第一類なき金光大神と言う事をはっきり言うておるのは、合楽だけじゃないかと思うです。
こういう方は何千年、いうならば宗教が始まって、三千年なら三千年に致しますが、三千年この方すばらしい宗教家はいくらも排出しました。けれども金光大神のような宗教家はそれこそ「又と類ない」というておるけれども、私が言うておるように「金光大神は類ないとは、どこが類ないか」と言うと分からんです。そりゃお釈迦様の方がちった偉いかもしれん。そりぁキリストにはかなわん。と言うておるんですから実際。
いわゆる金光大神を、類なきいうならば、宗教家と言うかと言うを事です、色々な角度からね、素晴らしいと言っておるのは〈大体〉合楽だけじぁないだろうかとおもうです。もう釈迦もキリストも、それこそ知らなかった、説き得なかった事を、金光大神は神様のお知らせによって分かられ、そして誰も説き得なかった前人未踏の、いうなら道をさし示された。その道こそが真の道である。
真の道を歩く限り、人間の幸福の条件がすべて足うて来る。それは天地の心の一部ではあるけれどもね、人間が幸福になって行く事の為の、類なき道である事をですね、苦しい道じゃないぞと、険しい道じゃないぞとね 例えば険しいかっても難しかっても信心の光、肉眼をおいて心眼を開いてするならば、それ総てが神愛として頂いていける道なんだと説かれたんです。
罪とか因縁とかいったものはです、金光大神が頂いておられる、和賀心の前にはそれこそ消え失せてしまう程しの〈もの〉です。金光大神のいうなら信心をです、類ひ稀ないと、「世にためしなきおかげを受け給い」ならどういう所を類ない、いうならばおかげを、受けておられるかと言うたっちゃ、説明が出来ん。そんなら類なきおかげを受けておられるならば、そのおかげが現在、どういうふうに現れておるのかと。
いうなら天地日月の心になる事寛容と、いわれるが天地日月の心になる事寛容であるという、信心が出来ておるか、そこから和賀心も分かり。天地書付を基軸としてとあるのはそこの所が分かって、それを基軸とした生活にならなければね。いうならばこれの祈願詞にうたってあるような事になってこない「教祖の為の御教えを受け継ぎ、世を重ね人の願いを親神に、神のみかげを人々に取り次ぎ道の伝わりて、喜び満る生活、日に日に新たに生まれつつ」今の合楽がこのままじゃないかと思うです。
この頃新聞にね、金光大神の道を本当に求めてくる者に伝える者は誰か、おかげを与える者は誰か、成る程おかげ頂いていると言う事は、何がなし頂いたとるけれどもです、金光大神の神意を伝えておるのは私、合楽以外にはないのではないかと思うのです。そういう信心を神習わせて頂きながら、皆さんが五年十年又は、二十年と合楽で信心を続けておられる中にですね。段々心の目が開けて来て、今では皆さんがどう言う事になっておられるかと言うと、ね。
神願有り難し、いよいよ成り行きを尊ばせて頂いとったら、それが一切神愛と言う事が分かった。これが真の道であるという事がわかった。だからその真の道には、真の教が伴うのであり、真のおかげが伴うのである。この道を行けば、大丈夫だと言う様な確信を持って、皆さんが進んでおられなければならん、又居られると思うです。最近会合のたんびに感じる事は、皆さんの発表を聞いて、私が合楽理念、合楽理念という事をいうが、一人々、々が自分で合楽理念と気付かんなりに、合楽理念に基づいて信心生活をしておられ、おかげを受けておられる事が分かるんです。
私は今日御祈念中にあのう、しきりに繁雄さんの信心のいうならば、一代記のようなものを感じたんです。いやあっちは一ばん始めに、私と縁が出来たのは奥さんがあの、リュ-マチで体が動かんようになり、どこの医者も温泉も、もうありとあらゆる養生はしたけれども、足が立たん体が自由に動かん。それを小坪さんという正義先生のお姉さんが、大変おかげを頂いとりましたから「とにかく騙されたと思うて参ってみらんの」と言うてリヤカ-に乗せて参って来なさったのが始まり。
段々おかげを頂かれてその従姉妹に当たりますから、従姉妹にばっかり御迷惑かけちゃならんというので、自分が自転車に乗せてみえられた。それが繁雄さんと私の出会いであった。丁度月次祭で、あの時分にはもう狭かったが、庭にもういっぱい立ってから、お話頂いておった。月次祭後の私がお話をしておる所に、見知らん人が入ってきなさったと思うておったらそれが繁雄さんじゃった。
丁度私が天地の大恩をお話しておる時に、その話を聞かれて愈々こりゃもう本当に有り難いお話だと。こりゃもう本当に百姓がする信心だと、まあその時にフィーリングです、感じられたんです。だからそれがおかげになって、それこそ奥さんが日参りが出来んでも、自分が日参りを何十年間続けられている中にです、それはそれは様々な所を通られた。家族中が避病院に行かんならんという寸前に、おかげ頂かれた事もあった。
御自分が今は肩が小さくなっておられるが、それこそうずきはしりしてどうにも出来ないという病気にもなられた。様々なおかげを頂いていく中にも、様々な問題にもそれこそ、十一時〈も回った〉でしょうかね、いつものように御用頂いて帰りがけに自動車が追突した。そしてあのう自動車もろ共、自分は自転車ですから、追突されて生きとるのが不思議な位な追突でした。
椛目の先のあの高い所から下へ落ちられて、まあそん時の話なんか皆さんも御承知でしょうけれども、本当にもう神様の御守護の中にこう言う事が起こったんだなぁと言う様な事であった。かというと又、その何とも言えんお野菜の出来の上に農作物の上に、又は様々な置いた物とるようなおかげの時代もあるかと思うと、その間には様々な事があった。 私はある時に、晩の御祈念を終わらせて頂いた時に神様から『墨と硯と紙を用意せろ』と頂いてから。
直ぐお広前を下ってからそれを用意したら、神様が[何事も素直心の一つにて雲の上まで上る道あり]というお歌いて、それを一気にさあっと本当に私は、ああいうのが書き流すというのでしょうか、書かせて頂いた。はあこりゃ自分書きよるとじぁなかごと、こりゃ有り難い字だなあと、よい字じぁないですけれどもね、有り難い字だなあと私は思うてそれを頂いて、そして明日一ばん始めに参って来た人に、上げようと心に決めておった時に、一ばん始めに参ってみえたのが繁雄さんでした。
こりゃやっぱ繁雄さん、あんたの性根と、同じような素直な方というは、それこそ豚を飼わせて頂く。そりゃ勿体島がよかじぁろか、木塚がよかろうかというお伺いの時に、そりゃ勿体島がよかろうじゃった。所が息子の国雄さんが買いに行った、所が行った所は、それこそガリ子が一匹残っとった。それももうよたよたしとる、こまかいとじゃった。いくら何でんこげなつ、は飼われんちゅうちから、そん木塚の方に所が、そこにはよか豚が沢山居った。
だから一応帰って親父に相談して、といってお父さんに相談した所が、繁雄さんが言うてござる事がです、「そりゃちょいと国雄待て」と「そりゃ向こうには立派な豚が居ろうばってん、親先生は勿体島から買えち言わっしゃった。そげなよたよたしとるごたる豚なら、そりゃ信心のある家じゃなからにゃ、とても育たんぞ」とやっぱりそれば買うて来いと、買われたのがそれこそ、一匹前になるまでには、人間が一人前だからあげなつは一匹前でしょう。
一匹前になるまでに、何べん死のうとしたか分からんぐらいに病豚でしたから、そんなふうでした。そして愈々大人になった時でもそれは細い、隣にその時分何か横綱を張った人と同じ貫数のですね、隣ですそれが丁度そこんとの繁雄さん方の倍ある、倍以上じぁった〈かもしれん〉。所がそれが大人になったら、子供産むこつ産むこつばさらかね、そりゃそこまで育てるまででも信心がなからなきゃ、育たなかったんです。
そこで豚がどんどん出来るけんで、小屋建てられるて言う事になったら、どういう間違いかその砂利あげに来たトラックがね、その土居の中さえ迷いこんで来たわけです。道間違えてから。そしてその小さい部落の道ですからひっくり【 】丁度、繁雄さん方の豚小屋ば作らんならん所のまえでこぼしてしもうた。「すまんばってんおっちゃん貰うてくれんの」ち言うた。そりゃあんたそりゃ渡りに船というて頂かれた。その豚が本当にあのうまあ、名豚という位に子を産み続けました。
そして隣のその倍もあるたあ、いっちょん産まんげなもん。産んだっちゃ一匹か二匹かげなもん。そりけんでとうとう腹きっちから食べらっしゃたげなて(笑い)ね。こういう事なんかでも、馬鹿んごと素直にならんなら出来る事じぁないでしょうが。何年かして丁度正月の餅の切りくずが、かびが生えちから、誰でも食べてんなかもんじぁから、家内がその「おっちゃま、あんたん方の豚なんとん食べさせちくれんの」ち言うちからやったげな。それを豚が食べちから喉にひっかかってころっと死んだ。
それで私がこれがほんな「とんころりん」たいち。(笑い)。今日はねその事をずうっと繁雄さんの一代記のような事を思うんですよ。だから今日はもう一ぺん皆さんに聞いてもらわんのじぁろうと思うてから、お話しよるわけですけれどもね。いうならばその事をお届けにみえました時に家内がね、豚になっとんやってくれんの、と言うとが神の気感にかなわんと神様がおっしゃったです。ね。
まあそういう様々な所を通らせて頂いた。ある時なんかは、もうこりゃ久富繁雄さん方はこれでおしまい。と言う様な事件が起こったんですね。そりゃもう大変親戚の人も心配してお届けされるけれども、神様はほっとけほっとけでした。ほりで向こうは腹かくばっかりです。それでこちらも親戚寄られ、向こうからも何人もやって来て、愈々善導寺かどっかで、問題を解決すると言う事になって、中々難しい事になって来た。
それで私が「皆椛目さえ連れちこんの」ち言うたから、親戚の方も、向こうの人達もやって来ました。私はその時、それこそ昨日の昼の御理解じゃなかばってん、その人と相対して二階で会うた時にですね、涙がこぼれたです。もう世の中には、どういう恐ろしい人間も居るがです。こういう例えば、人間が世の中に居るじゃろうかと私は思いました。ね それからだんだん話をするうちに、こうやって腕をまくるわけです。下にはもうそれこそ、腕から体いっぱい刺青をしとると言った様な。
だから私に見せるつもりじゃったろち思うです。久留米の人でした。それから私はあんまり立派な刺青じゃけん、「はああなたは立派な刺青しとんなさるですね」ちと言うたら、あらたにこうやって見せんごつなりました。そんなふうで話はとんとん拍子に進んで、こちらの条件どおりにおかげ頂きました そりゃだから私が鎮まって、その人と相対しましたからね。それで明くる日もう一ぺんけりをつけんならんという時に、それこそあげな時分に参って来るはずのない正義先生が参って来たです。自動車で。
だから正義先生が送って行ってくれました そして話がとんとん拍子に進んで、その事があんまりその、有り難く解決したもんだから、明くる日親子三人お菓子箱を持ってお礼に来なさったです。向こうからその恐ろしい人達が。そしてそん時にね、もう昨日先生と相対した時に、生きた仏様ちゃこげな人じゃろかち思いましたち言いましたよ。そういう事がありました。
もうそれこそ思うて見りゃみるほどです。なら最近はお参りの途中に、ああした怪我をなさった、それこそ大風の日に吹き倒されちから、コンクリ-トの溝にたたきつけられて、そして現在はこうして手が上んなさらんね。それでもうそげん言うなら、風が悪かごつ言うけれども、「繁雄さんいいんやそげな、神様のおかげで神様のいうなら風に、そげなケチをつけちゃならん、結局私が悪いと、いやどこに神様の御都合があるやら分からん。」とこう言う。
というて今にまだ、腕はこんなふうにしか上らんけれども、親先生の御用にだけは差しさえがない。こげんなったら息子でん嫁御でん、じいさんばっかりは遊んでばっかりおってちゃ言われんわけ体が。繁雄さんは大体仕事はしてはいけない体なんです。本当は。いわゆるその前に、自動車に追突した時に、始めて分かったのは肺がやられてあったんです。それが始めて分かったんです。ですから無理な仕事はいかんとです。
だから考えてみると、神様がやはり丁度適当な仕事をさして下さり、又御用には差し仕えんと、いったようなおかげを受けておられるというようなですね、いうならば簡単に繁雄さんの、何十年の一代記のようなお話でしたけれどもね、例えばねその風で吹き倒されて、その風が悪かと言うたり思うたりせずにね、それを神愛として受けておられる所に、心の目が開けとるからでしょうが。そん時も壮年部会にそん時の事を発表しとられました。いいえ風が悪かっじゃありまっせんね。
いうならば合楽ではそういう信心を頂いてくる中に、だんだん心の目が開けてくるんです。ならそれまでは私の誘導で真の道を間違いなく歩いて来た。そして段々、だんだん体験を積んで行く中に、真の道が開けてくるおかげを頂かれた。ですからいうならば肉眼をおいて心眼を開けと言う事は、ただ自分の都合のよか時だけ、頼んだり拝んだり伺うたりと言った様な事からは、おかげは頂いても心の目を開く事は出来ない。心の目そのものがお徳なんです。
そして皆さんもう一ぺんこの毎朝皆さんが、あげておられる祈願詞を読みながらはあ、こりゃもう寸分違わん合楽ではこの通りの事を現しておるな、と思ってあげられたら、なお更有り難いし、まだ自分は少し足らん所があると思うなら、そこを精進して行かれたらよいと思うですね。結局本私は真の道というのは、貫かねば分からない分からない。人がどうした奴じゃろかと、思うような人に例えば会うてもです、その人もやはり神様の氏子である、という事を分からせてもらえる実感。
神愛と思えばお礼が言えれるという心ね。これは心の目を開いた者でなければ分からないと言う事。昨日一時の研修の時にあそこに、今塗板に書いてある読みました。あれは自分の事を思うてから、辛さと書いたんです。神愛と受けたらお礼が言えた。修行と受けたら、元気な心が盛り盛りと湧いて来た。相手の心を思うたら祈らずにはおられん。こんな人が世の中に沢山いると思うたら悲しゅうなった。これは神の悲しみとも思われた。事に当たって愈々深く広く祈れる事は、まことにもって有り難しの極み。
これは自分の思うておる事、信じておる事をこういうふうに。昨日は聞いて頂いたんです。これは心の目を開かなければ、開く稽古をしとかなければ、こういう心の状態は開けてこないのです。今日は真の道を行く人は肉眼をおいて心眼を開けよと。心眼を開くというて、心眼を開かせて下さいというて、修行して開けるものではありません。ここではいろいろおしらせを頂くと心眼、心眼と申しますけれども、そういうもんじゃないです。あれはいうなら霊眼といいましょう。
心の目というのは今開いて頂いた、それもなら長年一途の信心させて頂く所からしか、いうならば、それこそ困った事でもそれを、いうならば風のせいにはしない それは心の目を開いておるから、風のせいにせんですむのです。心の眼を開いたらもう、お礼の言わねばおれない事に腹を立てたり、悲しんだり、いらいらしたりしている事が沢山ありましょう。そう言う様な事を一つ一つ、お礼の言えるようになった時に、心の眼が開けたと言う事になるでしょうね。
どうぞ。